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(写真説明 上左:本日検問中。上中:入り口の護衛兵。上右:儀式の練習中。)
9時ちょっと前にアタテュルク廟に到着する。
ここはトルコの初代大統領,ムスタファ・ケマル・アタテュルクの霊廟である。
入り口からバスが入っていくと検問中である。いつもこんなにものものしいのかと思ったが,あとでわかったがこの日このアタテュルク廟を訪れる要人がいるらしい。
たどり着くとちょうどその式典の準備というか練習中である。献花には何か書いてあるが,読めないのでまったく意味はわからない。
(写真説明 上左:儀式の練習中。上中:儀式用の献花。上右:入り口のもう一人の護衛兵。)
(写真説明 上左:アンカラの街並み。上中:アタテュルク廟の模型。上右:アタテュルク廟の案内図。)
北側の入り口から入っていくのだが,とても大きい。小高い丘の上にあり,遠くアンカラの町が見える。
(上の3つの写真の大きな画像は「
アタテュルク廟の写真特集
」のページをどうぞ。)
(写真説明 上左:右側(西側)の女性の像と「独立の塔」。上中:左側(東側)の男性の像と「自由の塔」。上右:ここから延々この石畳を歩いて霊廟に向かう。)
(写真説明 上左:儀式のために待機中の兵士。上中:花。上右:広場の中央で四方を撮影中。)
9時半過ぎには要人を迎えての式典が始まるということだったが,なかなか始まらない。
ずっと続く石畳の両側には各軍の兵士たちがいる。ただし,この日の特別な式典のために待機中なので,今はくつろいだ体勢でいる。本当に護衛している先ほどの2人の兵士は微動だにしないが,彼らはしゃべったりしながら式典が始まるのを待っている。
トルコにも陸,海,空の三軍があるが,それぞれに制服の色が違っている。
朝のこの時間見に来ている人も少ない。それで,広場の真ん真ん中に立ち四方を撮影する。上の右の写真は広場の中心で写真を撮る私である。撮影した写真は下の4枚である。
(写真説明 上左:東方向。霊廟。上中:南方向。トルコ国旗。上右:西方向。左:北方向。今歩いてきた石畳。)
(これら4つの写真の大きな画像は「
アンカラ・アタテュルク廟広場からの四方の眺め
」のページをどうぞ。)
(写真説明 上左:霊廟の入り口の文章。上中:アタテュルクさんの墓。上右:霊廟の天井。)
霊廟の一番奥にはアタテュルクさんの墓がある。とはいえ棺のように見えるが実際には遺体は地中深くにあるという。
(写真説明 上左:天井。上中:霊廟の入り口あたりから奧を見る。上右:霊廟から広場を見る。)
(写真説明 上左:護衛兵と共に。上中:南側のアンカラの町。上右:トルコ式トイレ。)
ここには霊廟だけではなく,生前アタテュルクさんが愛用していた品とか,各国から贈られた品なども展示されており,博物館にもなっている。博物館の入り口にも護衛兵がいるが,頼むと快くカメラに収まってくれるのだった。
帰り際にトイレに行くと,そこに噂に聞いていたトルコ式トイレを見つけたので,それを撮影しておく。日本の和式トイレのような構造なのだが,いたって平らな便器である。日本と違って逆向きにしゃがむということと,便器そのものに仕掛けのある水洗ではなく,自分でバケツに水をくんで,自分で流すという自己水洗(?)方式である。
(写真説明 左:儀式が始まり霊廟から兵士たちが出てくる。右:それぞれ片側に4人ずつ並ぶ。)
さて,帰ろうとする9時50分過ぎ,ようやく儀式が始まる。9時半頃から始まるとのことだったので,見ることができるかと思っていたが,無理だった。霊廟から8人の兵士たちが出てきて,それぞれ4人ずつ左右に分かれる。そうして銃を構えて定位置に着く。陸,海,空のそれぞれの兵士が並ぶのだった。いったい誰がこの日来たのかはわからないままに(見ていてもきっとわからないと思うが)このアタテュルク廟を去ったのだった。