このページについて
CONCEPT
金石中学校から見る日本海への落日
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金石・大野について
「金石」(かないわ)といえば,自分が真っ先に連想するのが「金石街道」。とにかく戦災にあわず,狭くて曲がりくねった道ばかりの金沢において,ただひたすらにまっすぐな道「金石街道」は,「金石」を象徴するものでした。
もう一つが「銭屋五兵衛」。小学校の時に金沢の歴史を習うと,必ず登場するのが「豪商」と頭につく「銭屋五兵衛」。そんな人もいたのかと,小さい頃は思っていたものでした。
そして「海」。金石と言えばすぐに「金石海岸」を連想したものでした。ただし,小さい頃も「金石海岸」に海水浴に来たことはなく,行くといえば「内灘」か「柴垣」でしたが……
「大野」(おおの)といえば,「大野灯台」。金沢で灯台と言えば「大野灯台」しか知らない,というか,この灯台しかないって感じです。だから「大野」と言っても,これまた「海」をすぐに連想するのでした。
それから「醤油」。小さい頃テレビコマーシャルに流れていた「なん,なん,直源,いい醤油」というメロディーなんて,今でも覚えています。今でも醤油を買うなら「大野の醤油」です。
ところで「金石」と「大野」は「なぜだかライバル」なんて聞きます。その昔「宮腰」(みやのこし→今の金石地区)と「大野」が「金石之交」(きんせきのまじわり)で一緒になって「金石」という地名になったのに,いつのまにか,また2つの町になりました。小学校もそれぞれにあるし,また一つの「金石」という町になりそうもありません。しかし,これは考えようによっては,それぞれに独自性もあるし,独立心や自負心があるのでしょう。中学校は一つの金石中学校に通いますし,その生徒たちはお互いの出身校下を意識することなく,一つの中学校の生徒として,それぞれによき友であり,それぞれによきライバルです。若い世代の人たちは「金石」だの「大野」だのといった,対抗心よりも,きっとそれぞれに個性あふれる街作りを心がけているのではないかと思います。つまりはそれぞれに「光る」街作りを。
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このページができるきっかけ
このページ「金沢の港町 金石・大野 街めぐり」は人生で二度,この金石の地に勤務することになり,お世話になった一金沢市民が,せっかくの機会だからと開設したページです。その地に愛着を持つためには,その地を知ること,という考えのもと,機会を見つけては,あちこち回って写真を撮り,調べ物をしてまとめたページです。
したがって,文章の中身は先人が調べてまとめた内容が大部分です。また,街歩きをする中で見つけた看板や,案内を書き写したものが大部分です。ただ。写真については基本的に自分で撮影して歩いています。
そういうページですので,このページを見られた方は,まあ,金石や大野を知るという一つのきっかけになっていただければ幸いです。また,金石や大野にお住まいの方は,自分の住む地域を再発見するきっかけになっていただければ幸いです。いや,すでにこの地域では公民館をはじめとしてさまざまな組織が立ち上げられ,地域を知る取組がなされています。なので,それと重複する内容も多々あると思われます。
要はこの制作者の思い入れで適当に作っているページと言えるかも知れません。
参考にした文献や資料は「参考文献・資料」のページに掲載しましたので,みなさまもご参考にご覧ください。
また,内容について不適切な部分などがありましたら,何なりとご連絡ください。対処させていただきます。
なお,すべてのページを完成させる前に金石地区から異動になってしまいました。つまりは簡単に取材する機会がなくなってしまいました。したがって,いろいろな部分が一体いつ完成するのかは定かではありません。「あの世に行く前にできるかなあ?」なんて,そんなページとなっていますのでご了承ください。いや,常に発展し続ける町だからいつまでも完成しないかもしれませんね。