1990年度 金石中学校 1年5組 学級文集「Sophia」
最後の一文(1991.3.30発行)
と言いますと,いつも学級通信に書けないようなことを書いているのです。
やっぱり学級通信というと,その日その時のクラスのことを書くことが多いわけだから,関係のない思うこと,考えることなんてのは書けない。
それで,この時期の学級文集に,あれやこれやと随筆めいたことを書くのです。
だから,自分で言うのもなんだけど,文集のこの部分を集めると,結構おもしろいものができます。
と言っても,量が少ないし,何しろ自分中心だから,自分で読み返すとおもしろいということになるけど……
それにしても,僕の文章と言うのは,どうでもいいことをくどくどとごちゃごちゃと書くもんだね。
こんな性格はなおらないみたいだ。
この文集をつくるにあたり,過去の学級通信「Sophia」の中からいくつか複写をしたのだけれど,つくづくこの1年5組ってのはすごかったんだなあと感心してしまった。
その賞状の数,おまけにそれらがみんな「1位」「優勝」「最優秀賞」というのばかり。
ただ賞状を取ってくるのではなくて,何でも1位。
それが本当にこのクラスがすごかったんだなあと思うことだ。
それでも,4月の初めのみんなの反応を覚えているかな。
「去年の3年3組は,賞状が20枚近くあって,学校1だったぞ。今年のクラスの君たちも,目標20枚だ。」
そう言ったときの君たちは,忘れもしない,
「えーっ。そんなにとれるわけないよ。」
と口々に答えたものだ。
それを聞いて,うーん,今年はダメかなあと思いましたよ。
おまけにだいたいが,初めて賞状のあたる4月の遠足で1枚も取ってこなかった。
オリエンテーリングの学級別行動で,あと3分早く移動して,ゴールしていれば,1位だったのに,ちょっとだらだらしていたら,等外でした。
学級対抗の長なわとびもダメだったしね。
そんなわけで,こりゃ今年はダメかと思ったものだ。
ところがどっこい,何と次々に賞状を取ってくるではありませんか。
そして,目標の20枚を超してしまったのでした。
こんなに活気があって,元気いっぱいのクラスもはじめて……でもないか?。
とにかく今年の1年5組はすごかったと思う。
よくもまあこんなクラスの担任を1年間もしたものだ。
とにかく何がすごいかと言うと,うるさい,やかましい,勝手にしゃべる,すぐ質問をする,思いついたらすぐ口に出す,興味がなかったらすぐ友達としゃべる,……ということがすごい。
はっきり言って,10m四方の部屋に上野動物園を持って来たみたいなものであった。
どうしてこうなったかと言うと,担任が「まあいいや」という安易な考えでここまできたからである。
生徒は1年間で担任に似てくると言うがその通りであって,どうでもいいやと思っているいい加減な担任だからこそ,みんなも動物園ごっこができたのである。
僕としても,これではいけない,大事なことを言うときにまでチンパンジーやオランウータンを相手にすることになってはいかん,と思ったが,時すでに遅し。
君たちのエネルギーの方が大きかったのである。
しかし,世の中欠点も見方を変えればときには長所となるもので,この元気さ,有り余るエネルギーで,次々と賞を取ってきた。
これには感心してしまった。
体育関係のみならず,文化関係でも賞を取ってきた。
どんな賞があったのかは,おしまいの方の「This is our home」を振り返ってみて下さい。
とにかくにぎやかすぎて,けじめがなくて,いい加減なところがあって,そしてよくしかられた,そんなクラスだったようだ。
なにしろ担任がまあいいや,「そんなこと」くらい,と思うから,君たちも「そんなこと」についてはしかられることもなく過ごせるわけで,それは絶対にダメという担任ならば,また君たちの反応もちがってくるだろう。
これは,君たちが親に育てられてきたことも同じ。
一つのことをとっても,親によっては,それはいいとか,だめだとか判断がちがうわけで,君たちも,そうやってここまで大きくなってきたのだ。
でも,言っとくけど,世の中いろんな人間がいるわけで,このあと君たちどんなクラスで,どんな友だちと過ごすか知らないけど,いつも自分の思うようにはいかないってことだよ。
いかんなあ,まるで教師の書く文章みたいになってきたぞ。
とにかくだ,この1年で君たちの身についたことは,いい加減さなのかもしれません。
それは決していいことじゃないけれどもね……
しかし,それでも全員一致というのはなかなか難しいもので,時には君たちの育ち方のゆがみを感じたものだ。
そう,しらけすぎていることとか,自分のことしか考えられないこととか,人の気持ちを思いやることができないこととかね。
まあ,少ない兄弟の中で,いたれり,つくせりで育ってきたのだからしょうがないけどね。
おまけにこれで,権利がどうのとわめきはじめたらどうなるんでしょうかね。
とついついいらんところへ話がいくのが僕の文章の悪い癖。
それでも,力いっぱい元気なクラスで,担任もおもしろかったな。
このまま2年,3年と持ち上がってもいいなと思わせるクラスでした。
とにかくだ,この1年5組はすごかったのだ。
おもしろい人間がいっぱいいたのだ。
そんな思い出をいつまでも忘れないでいたいもんだ。
話変わっていきなり3要素の話。
人間どうしたわけか,物事に関して3つ位を抜き出すのが好きである。
1つじゃ全然足りない,2つじゃものたりない,4つ以上じゃ多すぎる,と言うことで,何かにつけ3つを抜き出すのが好きだ。
科学の法則なんかが「3要素」あるものが多いからかもしれないな。
たとえば,「発芽の3要素」=「温度,水分,酸素」とかいった具合。
「世界の3大美女」=「クレオパトラ,楊貴妃,マリーアントワネット」なんてなのもあるな。
それでは僕の3要素シリーズいってみようか!
まずは,わが子を育てるにあたって,小さい頃よく言っていたこと。
気をつけるもの,こわいものベスト3。
要するに,交通事故がいちばんこわい。
命にかかわるからね。
だから,しつこく車には気をつけろと言った。
今でもそうだけど。
それから熱いもの。
うちは揚げ物が好きなので,週に何回も油を使う。
だから,台所に近づくな,油とお湯に気をつけろとよく言った。
やけどに気をつけろということだ。
すぐには命に関係ないけど,かかわってくることもある。
それから3番目がとんがったもの。
鉛筆とか,はしとかだね。
小さい頃は,そういうものを持ってよく走り回るものなのだ。
そしてへたしてころべば,目や口をさす。
これはとっても危険。
それで,よく「ちっくんこを持って歩くな。」と言ったものだ。
今じゃあ車に気をつけろ,くらいしか言わないけど,君たちも小さい頃はいろんなこと怒られたでしょ。
さて,もう少し大きくなって小学生になると,注意してることベスト3。
まあ君たちもことばづかいはひどい。
大人になったらなおるなんて甘い。
小さい頃身についたものはなかなかなおらない。
特に敬語の使い方なんてのは,僕自身も気をつけているけど,全然ダメだね。
それから単語だけで文章を終わらせる。
これも君たちのよくやることだ。
「先生,これ」だけで終わる。
このプリントがどうしてどうなったのか全然言わない。
「先生,2限目の時のプリントできたので持ってきました。」を省略して「先生,これ」だもんね。
ということで,坂根家では単語だけの文はいっさい受け付けない。
それから食事の仕方,これも大人になっても直らないものはとってもみっともない。
はしのもち方,ちゃわんのもち方,ちゃわんなどを持つべきものは持ってたべること,背筋を伸ばすことなど。
ほんと,なかなかできませんね。
それから本を読む姿勢は,目を悪くしないため。
頭の悪いのは何とかなるけど,目が悪くなると不便だからね。
最近はこの3つがいつもしつこく言うこと。
一応子供はみんな女の子なので,もう少し大きくなったら言うことを考えておかなくっちゃね。
こわいもの3つ,こんなのはどう?
なんて……
さて,自分に関する3要素。
まずは言わないでおこうと気をつけてることば。
この3つ言わないで仕事をしようと思うんだけど,難しいですね。
ついつい「疲れたぁー」なんて言ってしまう。
せっかく仕事やるのに,やる気ないとかおもしろくないなんて言わないでおこうと思うんだけど,難しい。
君たちには「やる気出せ」とか「意欲が大切」なんて言ってるが,自分でやりたいこと見つけて,何でもやっていくってのは大人でも難しいものなんだ。
できるだけいろんなことに興味を持ち,好奇心を発揮して,自分のやりたいものを発見する。
大事だね。
続いては飲み屋の条件。
こんなもん中学生の文集の内容じゃないと思うでしょうが,いいんだよ。
どんなところへ飲みに行くかというと3条件
これですね。
別に歌を歌わなくてもしゃべってればいいし,むしろしゃべるために飲みに行くみたいなもんだし,別に女性差別するわけじゃないけど,化粧して,マニキュア塗って,タバコ吸ってる女に酒ついでもらって,話をこっちに合わせてもらおうなんてつもりはないし,むしろ愛想のいいマスターとばかな話していた方がおもしろいし,まあ,カラオケもなく,ホステスもいなけりゃあ当然料金も安いわね。
ということで,水割り1杯200円,とそこら辺の喫茶店のコーヒー1杯より安いもんね。
なんて,結局はびんぼーなんかな。
ということで,まだまだ書こうと思ったことはあったけど,何しろ製本屋の締め切りに間に合わないし,ここらへんで止めとこう。
一応4ページの原稿はあがったしね。
さあてと,どこかに飲みにでも行くか……
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